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御岳山の御師集落

御岳山に登ったことはありますか?20歳の時、ハイキングでたまたま登った御岳山に集落があることを知った私。もう20回、30回は通って、たくさんの人に会い、歴史や文化、生き方、未来のことを聞きました。

標高929mの御岳山に150人が暮らしてる?


麓の滝本駅でケーブルカーを待つ登山客

子どもの頃からにしがわに住んでいる人にとっては、御岳山は遠足でおなじみの場所かもしれません。

山道はもちろん、ケーブルカーやリフトも整備されているので、登山をしたことがない人でも気軽に遊びに行ける山として、天気のよい休日には、親子連れや山ガールで賑わっています。

そんな御岳山ですが、山上には江戸時代のはじめにできた17代以上続く御師<おし>集落があり、老若男女150人ほどが暮らしています。

これまでに御岳山に足を運んだことがある人は、「だから山上に家があるんだ!」と納得したことでしょう。

でも、誰もが住めるわけではないのです。御岳山は秩父多摩甲斐国立公園の一部に含まれているので、「自然公園法」によって、新築や増築、一般車両の乗り入れが制限されています。

御岳山を歩いていると、時折、細い山道を車が通りますが、すべて山で暮らしている人たちのものです。よく見ると軽自動車だけで、通行証が付いていることにも気がつきます。

御師ってなあに?


毎年5月8日に開催される御岳山で最大のお祭り「日の出祭」

青梅線、バス、ケーブルカーを乗り継いでようやく辿り着く御岳山は、お世辞にも便利な場所とは言えません。初めて御岳山に集落があると知った時、「こんな不便な場所にどうして...」というのが正直な感想でした。

御岳山に集落ができたのは、江戸時代初期、1600年頃と言われています。山頂にそびえる武蔵御嶽神社(当時は神仏習合で御嶽山蔵王大権現<ざおうだいごんげん>と呼ばれていました)を拠点に修行をしていた山伏たちが定住して集落をつくり、布教活動と参詣者を案内する宿坊を営む「御師」となったことが起源です。

当時は、「お伊勢参り」をはじめとする寺社詣が全国で盛んになり、御師という仕事が各地の大きな寺社のそばで定着していきました。御岳山もそのひとつだったのです。

関東一円で暮らす人々にとって、御岳山に御岳詣に訪れることは定番中の定番で、山はとても賑わっていたそうです。当時の様子は、『御嶽菅笠<みたけすげがさ>』という本にイラスト入りで紹介されています。武蔵御嶽神社で購入可能です。

現在では、多くの寺社で御師という職業や集落がなくなってしまいましたが、御岳山では今もなお御師集落が残り、山上のほとんどの家が、代々続く御師の家系です。基本的にはかつての御師の仕事を継承し、武蔵御嶽神社の祭や行事への参加、関東に広がる「御嶽講<こう>」へのお札配り(配札<はいさつ>)、宿坊旅館の経営などをして、生計を立てています。

御岳山とにしがわ


参道には、にしがわ地域を含め、関東の地名が刻まれた講碑が並ぶ

関東出身の友人に御岳山の話をすると、時々、「実家でお札を見たことがある」、「実家が昔、講に入っていた」というエピソードを聞きます。

寺社詣が盛んになった当時、交通手段は徒歩だけしかなく、お金もかかるので頻繁に行くことはできませんでした。そこで、近所の人たちでグループをつくり、お金を出しあって、全員が行けなくても代表に参拝してきてもらう、という仕組みをつくりました。地域や寺社ごとに少しずつ違いはあるそうですが、このようなグループを「講」と呼んでいます。

御岳山が五穀豊穣の守り神ということもあり、御岳山の講は農業が栄えた地域に多いと聞きます。神社に向かう参道には、大きくて立派な石碑がいくつも建っていますが、これは「講碑」と言って、講の結成の周年記念などで寄贈されたものです。よく見ると、「あきる野◯◯講」、「練馬◯◯講」といった関東周辺の地域名が刻まれています。

実家や近所はもちろん、馴染みある地名を刻んだ講碑を見つけて、何百年も前から続く御岳山と地域のつながりを感じてみるのもいいでしょう。

未来へ続く御岳山


929mの山頂付近から見渡した御岳山の集落

一度、武蔵御嶽神社に参拝に来ていた講の方とお話する機会があり ました。自分の祖父母と同年代の方がほとんどで、若い人の姿がなく、未来のことを思うと複雑な気持ちになりました。

お話を伺うと、子どもの頃から御岳山が身近にあり、「自分の息子にも、ぜひ続けてほしい」と話す人もいれば、「農家からサラリーマンの家になったため、自分の代で終わりでいい」と言う声もありました。

御岳山の講の場合は、農業には欠かせない五穀豊穣を願う目的が大きいため、農家を辞めれば、残念ながら講を抜ける人も多いそうです。今の代までは残っていても、次世代への継承が一番難しいと言われています。

一方で、これまで地域でつくられることが多かった講ですが、最近では趣味やサークル活動の仲間で結成された講も出てきているそうです。御師と講の新しい関係も育まれはじめています。

ぜひ、御岳山に足を運んで、山の歴史や麓に広がるにしがわ地域との古くからのつながりを噛みしめるとともに、未来の姿も想像してみて下さい。

2014年06月11日|青梅市

記者プロフィール

伊藤恵梨
三重県の神道の家系に生まれる。大学入学時に上京し、御岳山と出会う。東京の山中で御師集落が営まれていることに感動して取材・研究活動を開始。2013年には、東京にしがわ大学で御岳山の授業を実施した。

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