• う
一覧に戻る

麗しの貴女に逢いに行く

偶然買った雑誌、私の目を奪ったのは9本のかんざしでした。全62ページ中のたった1ページ。小さな「澤乃井櫛かんざし美術館」の文字を見て3か月後、生まれて初めて青梅の地を踏んだのです。

山に抱かれた美術館へ


新緑に映える白壁が美しい美術館の外観

青梅線は沢井駅、夏もどこか涼しげな多摩川のほとりに、日本初にして唯一の櫛(くし)、かんざしの美術館があります。所蔵品は現在約4000点。常時400-500点が展示され、四季の移り変わりにあわせて年に4回、内容をいれかえます。

膨大なコレクションのほとんどは、京都の蒐集家、岡崎智予さんの持ち物でした。高齢になった彼女が手放すことにした品々を一念発起して買い受けたのが、骨董品や小物が好きだった小澤酒造の小澤恒夫氏だったのです。最初は大切に蔵に仕舞われていた名品は、「このような貴重なものをしまっていてはいけない。

四季折々の姿を見せる、ロビーからの絶景も名物の一つ
大勢の方に見ていただいてこそ、意味がある」という恒夫氏の想いから、澤乃井櫛かんざし美術館という居場所を得ました。

1998年4月にオープンした美術館は、現在では息子の小澤徳郎氏が館長を務めています。櫛やかんざしの世界は全く知らなかったという館長は、今では所蔵品の管理や展覧会の企画を一手に担っています。岡崎さんたちの手を借りて試行錯誤していく中で、何百年も前に根付いていた文化の成熟度に、心を動かされていきました。

日用品であり、芸術品


幕末から明治に流行した「銀杏返し」は、根掛けに翡翠や珊瑚の玉を掛けた

そんな館長が語る櫛、かんざしの魅力は、他の美術品にはない「体の一部」という性質。体に直接身に着けるゆえの、「思い入れ」の強さです。美術館には、「死んだおばあちゃんが大事にしていた櫛を、捨てるに捨てられなくて...」というご相談も多いとか。そのまま寄贈されることもありますが、壊れてしまったものは「ご供養」をするそうです。

櫛やかんざしは「女性の髪形」と共に発展してきました。最盛期は日本髪を結い始める江戸時代。明治、大正、昭和と時代を経て、さまざまな装飾品や洋装が伝わり、日本髪を結う女性が減っていくのと同時に櫛かんざしの文化も衰退していきます。その本質はやはり鑑賞するものではなく使うもの。髪に挿したときにこそ、最も美しく見えるようにデザインされたのです。魅力を引き出すために、展示の仕方にも一工夫。実物の三分の一スケールの「豆かつら」で、各時代の流行の髪形が随所に再現されています。見やすく並べられた「美術品」としての櫛たちも素晴らしいけれど、実際に髪に挿しているところを見ると、また違う表情にハッとさせられました。

この季節に挿すのなら、どんな気持ちで選んだだろう。当時の女性に思いを馳せながら、展示を考えるという小澤館長。 「今日は暑いね、こんな暑い日が続くなら、このガラスの涼しげな笄を挿したんじゃないのかな...なんてね」

夏物の展示では水晶や透かし彫り、流水文様など涼しげなデザインの面々が出迎えてくれます。全国的にも珍しい、割れやすい江戸ギヤマンでつくられた切子細工の櫛を目当てにまた訪れてしまいそう!

看板娘と普遍の魅力


背にも漆に金蒔絵が施された「看板娘」。当時としては斬新なモチーフ化された図柄

館長一押しは、美術館の看板にもなっている『桜花文様蒔絵櫛』。江戸後期の作品です。写実的な図柄が主流を占めた中、そのままを描くのではなく、けれど確かに「桜」だと伝わる考え抜かれた絵柄は、200年以上の時を経ても古臭さを感じさせず、どこか現代的なたたずまい。岡崎さんが、「この櫛を看板娘にしましょう」と勧めた一品でもあります。

「彼女」たちが岡崎さんの家の子だった時代、ドイツで開かれた展覧会で一番人気を集めたのがこの櫛です。「予備知識のない人がいきなり見て、一番目立つし、これはいいものだと直感的に思えるのがあの櫛の良さですね。私もなんにも知らない頃にコレクションを見て、桜に梅に牡丹に松、いろんな櫛がありますが、あれだけはぱっと見て忘れませんでした。

今では美術館の顔である彼女ですが、持ち主も、製作者も不明。あれだけ大きな蒔絵ならば、よほどの高貴な人物のものだったのだろう...と想像を掻き立てる、ミステリアスなところも彼女の魅力です。

貴女の時代に思いを馳せて


青梅の自然と、季節にあわせた櫛かんざしの写真が上がる館長のブログは必見

「展示を通して、かつてこんなに素晴らしいものがつくられていて、こんなにきれいなものを女性たちが身に着けていたんだと知っていただきたい」

櫛かんざしの世界は、現代の私たちにはなかなか馴染みのないものですが、あまり硬く考えずに目の前の作品を眺めてみてはいかがでしょう。彼女の持ち主は、どんな人だったのか。どんな時に身につけられていたのか。当時の女性はどんな想いで引き出しや箱に仕舞われた彼女を取り出して眺めたのだろう。かつて生きた女性たちと、その身を彩った「彼女」たち。貴女方の時代に思いを馳せて過ぎる、贅沢な一日でした。

2015年08月15日|青梅市

記者プロフィール

笹浪 万里江
猫と、物語と、美味しいものをこよなく愛するアクティブなインドア派。北海道と宮崎県出身の両親のもと、地方文化が入り乱れた家庭で育ったにしがわ初心者。新しいわくわくを求め今日もにしがわへ。

一覧に戻る