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なんとなくアメリカン

福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがる横田基地。年に一度だけ基地の中に入れる開放日があるのを知っていますか。2年ぶりに開催された横田基地の友好祭へ行ってきました。地元では昔からカーニバルと呼ばれている恒例行事です。

夏の思い出


あのころと変わらぬ、なんにもない空

福生に住むようになった高校生のころから雑誌のPOPEYEに出てくるようなアメリカの空気や文化に憧れて、毎年必ず遊びに行っていた夏の終わりに開催される「カーニバル」。

会場内では陽気な米兵さんが焼いているわらじのようなステーキや、ハンドメイドの甘ったるいケーキなどが売っていて、一生懸命「ワンコークプリーズ!」「ツーステーキアンドワンバーガー」なんて身振り手振りで会話して手にいれたステーキやハンバーガーを「こんな硬い肉食えないよ」とコカコーラで流し込み、かけすぎたケチャップで手をベトベトにしながらハンバーガーを頬張る。

滑走路に展示されているF-4ファントムや「トップガン」でトム・クルーズが操るF-14トムキャットなどに興奮し、その少し先の滑走路から轟音と共に飛び立っていくC-130ハーキュリーズを走って追いかけたり。

そして日が暮れる頃、遊び疲れて、だだっ広い滑走路でコーラを飲みながらなんにもない空を見上げ、ただその場所にいるだけでなんとなくアメリカンな気分に浸っていたなとそんなことを思い出します。

横田基地日米友好祭


日米友好祭は在日米空軍横田基地が、毎年8月の終わりに基地の一部を開放し、日米交流を目的とした2日間で約15万人もの人が訪れる基地の一大イベントです。会場内ではドルでも買い物ができ、グッズの販売や豪快なアメリカンな料理が楽しめます。また何カ所かに分かれたステージでは日本舞踊の披露やジャズやロックのライブが行われ、日曜の夜には花火が打ち上げられます。そして、この2日間は基地内だけではなく、福生の商店街全体がお祭りの雰囲気に包まれています。

歴史は古く1949年の9月に第五空軍誕生7年を祝って地上展示やエアショーが行われたのが始まりだそうです。その時には一般開放されず、1950年代後半に一般公開されるようになったようです。正式名称は友好祭(Friendship Festival)なのですが、なぜか地元では昔から「横田のカーニバル」と呼んでいました。

そんなカーニバル、昨年、米国防総省の歳出削減などを理由に無期限の延期となっていましたが基地内部で強く要請したことで2年ぶりに開催が実現したのです。

久しぶりのカーニバル


ここから先はアメリカ
雨あがりのだだっ広い滑走路

数十年ぶりに訪れたカーニバルは相変わらずの人込みで、ゲートのセキュリティーがとっても厳しくなっていたけれど、中に入ると変わらぬ景色があり、ハンドメイドのケーキは相変わらず甘ったるそうで、まとめて焼かれるステーキは絶対焼きすぎで噛み切れないと確信します。

久しぶりに口ごもりながら「ツービアプリーズ!」「ツーバーガー」「ノーノ―、ツー、ツー」なんて会話して手に入れたビールやハンバーガー。ケチャップを自分でかけることすらすっかり忘れていて、もそもそとしたバンズで挿まれたハンバーグをうすいLiteビールで流し込みます。

滑走路に展示されている新旧おりまぜた航空機、F-15イーグルやF-16ファルコン、C-17グローブマスターなどをみるとやはり心がくすぐられ、少し先の滑走路へC-130ハーキュリーズがランディングしてくるのを息子が興奮しながら追いかけようとします。馬鹿でかい倉庫内では以前と同じようにライブが行われていて、なんだかあの頃から時間が止まっているかのようだなと感じます。

だだっ広い滑走路から眺める空は相変わらず広く、ビールを飲みながら、横でステーキサンドをほおばる息子を見て感じることはやっぱり平和がいいなという思い。

もしカーニバルが来年も開催されるようでしたら、わらじのようなステーキに甘ったるいハンドメードケーキ、Liteなビールをプハッ!とやってアメリカンな気分に浸りに行きませんか。

2014年12月26日|福生市

記者プロフィール

林 雅一
13歳より武蔵五日市、福生、三鷹とにしがわを転々とし現在小平在住。にしがわに住み32年、にしがわ以外でのくらしがまったく想像できない根っからの多摩っ子です。

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