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僕のまちのフットボールクラブ

ヨーロッパのサッカーこそがすべて、日本のサッカーなんかつまらないという声をよく聞きます。でももっと身近にあるフットボールを楽しみませんか。上手とか下手で見るのではなく僕のまちの代表を。

にしがわにあるクラブ


小平市にあるFC東京小平グランド

日本におけるサッカーのリーグ構成(第1種)はプロサッカーリーグである日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のディビジョン1(J1)を頂点にディビジョン2(J2)、J3リーグ、アマチュアによる日本フットボールリーグ (JFL) 、各地域リーグ、各都道府県リーグの順のピラミッド構造となっています。

にしがわにはJ1のFC東京、J2の東京ヴェルディ1969、J3のFC町田ゼルビア、そしてJFLに横河武蔵野FCとそれぞれのカテゴリーにクラブチームが存在しています。

調布市にある味の素スタジアムを本拠地とし、それぞれ小平市、稲城市に練習場を構えるFC東京と東京ヴェルディ1969。町田市立陸上競技場を本拠地とし町田市を中心に活動するFC町田ゼルビア。そして2003年より横河電機(株)の社内同好会から離れ、武蔵野市のクラブチームへと運営体制を変更し、チーム名を改称した横河武蔵野FC。それぞれのクラブが地域の誇りとなる、地域社会への貢献、スポーツ文化を育てる、青少年への指導、普及などを理念に掲げ活動をしています。

おらがまちのクラブ


「代表よりもおらがまちのクラブ、代表になんか行ってけがして帰ってきたらどうする」と正直代表になんか選ばれてほしくないんだよと毒突き、また「若いころはゴール裏でやんちゃして、結婚し、子供が生まれたらバックスタンドで観戦し、今はメインでヤジを飛ばしながら、孫がゴール裏でやんちゃしているのを見守っている」。

以前、こんな風にヨーロッパのおじいさん達が自分のまちのクラブについて語る記事を読み、何世代も続くまちのクラブチームへの愛情を羨ましいなと思っていました。

けれども当時僕の住む東京にはチームがなく、どちらかというと代表に気持ちが傾いていた1999年に東京ガスサッカー部がFC東京となりJリーグに加盟。J2を戦うFC東京のひたむきさ、そして、そのファンたちのチームに対する愛情たっぷりの応援風景、そして何よりも自分の住む東京にチームが生まれたと僕はすぐにこのクラブの虜になってしまいました。

僕のまちのクラブ


練習後のファンとのミックスゾーン
グランド近くのうどん屋さんには訪れた選手のサインが掲げられる

2000年にFC東京はJ1に昇格し、2001年に東京スタジアムというホームスタジアムが調布市にでき、小平市に練習場が整備されます。ちょうど家を探していた僕は、住むならばFC東京の側に住みたいと思い、調布市にするか小平市にするか迷ったけれど、何週間かに一度、試合に来る調布市よりも、なお身近に感じるだろうと小平市での生活を始めます。

練習場に行くと練習後の選手達は疲れているだろうに嫌な顔の一つもせず僕たちを迎えてくれる。その選手達がまちを歩き、同じ店でパンを買う。グランド近くのうどん屋さんには訪れた選手たちのサインが誇らしげに掲示され、公園やグランドでサッカーをする子供たちのユニホームはマンチェスターユナイテッドやインテルよりもFC東京のレプリカが多く、花小金井の商店街を歩いていると日本代表に選ばれた権田選手とすれ違う。

小平駅周辺の6つの商店会で運営されている応援会では年に3回程の応援バスツアーや選手の壮行会などを企画され、いつかは小平市からバスが何台も出てスタジアムに向かえたらと話し、最近では小平市の原付のナンバープレートには小平市のマスコットである「ぶるべー」とFC東京のマスコット「東京ドロンパ」のイラストが入って交付されている。こんなふうに暮らしの中に愛するクラブチームがある幸せをとても感じています。

草の根的にそれぞれの地域にクラブチームがあり、そのすべての先に日本代表があると思います。クラブは活動を通じてまちとつながり、そして僕たちにとっては当然のようにまちにある、まちの誇り。そういう意識が育って、見る目が変わっていけば、いつかは日本代表ももっともっと世界で戦えるチームになるんじゃないかなと思うのです。

いま、いろいろなクラブが地域に愛されるクラブを目指し活動しています。自分のことのように喜んだり悲しんだりできる。そんな愛するフットボールクラブを住んでいるまちで見つけてみませんか。

2014年08月13日

記者プロフィール

林 雅一
13歳より武蔵五日市、福生、三鷹とにしがわを転々とし現在小平在住。にしがわに住み32年、にしがわ以外でのくらしがまったく想像できない根っからの多摩っ子です。

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