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白州次郎・正子に学ぶ暮らし方

吉田茂の側近としてGHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言われた白洲次郎と、その妻で作家の白洲正子の家が町田にあります。そしてその暮らし方は私をはじめ、にしがわに暮らす人にとって参考になる点が多いのではないかと思います。

白州次郎、正子の家「武相荘」は町田市鶴川地区にあった


白洲次郎と正子が住んだ武相荘は、町田市にあります。

人口42万人の町田市。その東北部に鶴川という地区があり、小田急線鶴川駅を降りて約15分程度歩いたところに武相荘があります。武相荘のある一角に来ると、タイムスリップしたような気分に陥ります。「町田にもこのようなところがあったのか!」と驚きました。

以前はこの地域はこのような自然が沢山あったそうですが、この家を公開した白州次郎、正子夫妻の娘、牧圭子さんも「気づいたら当たり前だった自然やこの家のような茅葺きの家がなくなっていった。」とおっしゃっています。

ちなみに武相荘の名前の由来は「武蔵」と「相模」にまたがる地域と白州次郎自身の「無愛想」をかけて名付けたそうです。

なぜ白州次郎は鶴川に住むことになったのか?


武相荘は森に囲まれ、周囲の住宅地とは違った雰囲気になっていました。

初めて鶴川に白州次郎の家があると聞いた時、正直どうして鶴川にあるのだろう?とかなり疑問に思いました。

もともと第二次世界大戦の戦況の悪化や空襲や食糧難を予測して農地のついた郊外の家を探していたときに、使用人の親戚が鶴川村で駐在をしていた縁で購入したのだそうです。疎開的な意味合いが大きかったのですね!

ただ、鶴川に移住した理由は疎開だけでなく、「カントリー・ジェントルマン」と呼ばれる生き方を実行したことも大きいようです。

「カントリー・ジェントルマン」とは、敢えて地方に住み、中央の政治に目を光らせ、遠くから眺めることで渦中にある政治家には見えないことがよくわかり、いざという時は中央へ出て行って政治家の姿勢を正す、という考え方です。これは英国貴族の考え方で、ケンブリッジ大学留学時代に友人の伯爵の影響が大きいと言われます。

都心に住んでいないからこそ客観視できるということですね。こういう生き方も良いですね!

家を改築しながら気分転換


彼らが作成した新聞受。高級品ではなく、落ちているものなどを作り直していました。
寄棟造りの武相荘。ここで、白洲次郎と正子は生活を楽しみました。

寄せ棟造りの家は多摩地区の養蚕農家の面影を今に伝える貴重な文化遺産で、明治初期の建築と推定されています。本格的に武相荘に移ってからは専ら近隣の住民と交流しながら農作業を行い、この家を改築していったそうです。

家の中はもちろん、転がっていたものを拾い、改修して自分たちが使いやすいように新聞受を作っています。面白い発想ですね!

白州正子は「高級品よりもその辺に落ちているものを拾って自分たちのものにする方が良い」と考え、工夫をしながらこのように楽しんでいたそうです。しかも武相荘は豊かな自然の中にあるので、四季を日常生活の中で楽しむことが出来ます。

にしがわはまさに、都会が近くにありながらも自然が沢山残っている場所です。 そこで、身近なものを使って、それを自分たちが楽しむことができるよう工夫し、自分色に染め上げる。そして四季を楽しむことで気分転換する。 白洲次郎や正子の生き方、考え方は、にしがわに住む人にお金だけでは買えない豊かな暮らし方、楽しみ方を示唆してくれているように思います。

こういう方が町田にいたなんて思うだけで地域に誇りを持つことが出来ますね!ぜひ白州次郎の家に行ってみて都市近郊の家、カントリー・ジェントルマンの魅力を感じてみてくださいね!

2014年07月15日|町田市

記者プロフィール

高畑陽馬
新潟生まれ。転勤族で全国7都市に在住。札幌在住の際に東京にしがわ大学姉妹校の札幌オオドオリ大学に関わる。その後転勤で横浜へ。シブヤ大学に関わり、現在にしがわに進出中。町田市にある大学に通っていた。

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