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とうがらしのお地蔵様

日野市と八王子市に、とうがらしが奉納されているお地蔵様があります。「なぜとうがらしを?」と不思議に思って調べてみたところ、歴史的なつながりが見えてきました。

日野市の北原とんがらし地蔵


日野市にあるとんがらし地蔵

日野市の甲州街道沿いから北に入った所に、とうがらしが奉納されているお地蔵様があります。

脇に立っている説明板によると、とんがらし地蔵と言い、また、ヤンメ地蔵ととも言われ「目を患っている人が赤とうがらしをあげると御利益がある」と言われているそうです。「ヤンメ」とは「病ン目」でしょうか。目の病気ととうがらしにどういう関係があったのでしょうか。昔の人はどう考えていたのか聞いてみたいですね。

説明板は平成24年に建てられたようで、地蔵堂も新しくなっています。地域の人達によって守られているのでしょうか。


日野市のとんがらし地蔵の説明版


日野市のとんがらし地蔵のお地蔵様はきりっとした顔つきです。

八王子市のとうがらし地蔵


八王子市のとうがらし地蔵。神竜山禅東院の中にいます。

八王子市にも甲州街道沿いから北に入った所に、とうがらしが奉納されているお地蔵様があります。こちらのお地蔵様は神竜山禅東院という寺院の中に立っています。

7体のお地蔵様が並んでおり、真ん中のがひとつだけ大きく茶色くなっています。

住職にお話をうかがったところ、左右の6体のお地蔵様は新しく、真ん中のお地蔵様は江戸時代からあるもので、第2次世界大戦中に火災で焼け茶色くなってしまったそうです。 お地蔵様の後ろには、小学生が書いたお地蔵様の絵が飾られています。

とうがらし地蔵縁起


八王子のとうがらし地蔵の縁起
八つ房とうがらしは、実が天に向かって房なりになる特徴があるそうです。

お地蔵様の右側の柱に、とうがらし地蔵縁起と書かれた説明板がありました。

江戸時代にはこの周辺の農家で、唐辛子が多く作られていたこと。飢饉の際には内藤新宿の「八つ房」という問屋に卸して大変助かったことなどが書かれています。内藤新宿というのは新宿駅の東側辺りのことで、甲州街道の最初の宿場町があった場所です。

この説明板を読んで、内藤とうがらしという伝統野菜があるのを思い出しました。江戸時代に内藤新宿の周辺で作られていたそうで、「内藤新宿周辺から大久保にかけての畑は真っ赤に彩られて美しかった」という言い伝えがあるくらい、盛んに育てられていたようです。

現在もタネが売られ、各地で栽培されている「八つ房とうがらし」という品種のとうがらしがあるのですが、内藤新宿にあったとうがらしの卸問屋の名前が由来なんだそうです。

2つのお地蔵様と内藤新宿には、とうがらしともうひとつ「甲州街道」という共通点があります。新宿で育てられていた内藤とうがらしは、甲州街道を通って日野や八王子に伝わったのではないでしょうか。そして、飢饉の際には甲州街道を上がって内藤新宿の問屋「八つ房」に卸してしのいでいた。甲州街道を通じてとうがらしが行き来していると想像すると、なかなか興味深いです。

2014年07月04日

記者プロフィール

浅見義孝
立川市在住在勤の3児の父。にわ大の部活動、地図を肴に酒が飲める地図部所属。地名の来歴や道にたたずむ謂れなどに興味があります。最近の趣味は電柱の管理プレートを読むこと。

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